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すぎては自を破壊する

薄暗い中、新しく買った電球を交換する。数時間だけの滞在だったはすが、彼此何か月経っただろう。ここに来る前の生活が恋しい、しかし以前の生活が本当の事だったかのさえ今となっては曖昧、都合のいいように記憶の断片をつなぎ合わせているだけにしか過ぎない。いや寧ろ空想の産物か。なんせ、身の回りには記録を示すものがない。頼れるのは大脳皮質だけだ。

そう独りで会話しながら、大階段を上る

 

どうやら今日は観客がいつもより少ない。観客がいないからと言ってここで止めるわけにはいかない。演技は続けなければならないのだ。いや待て、続けなければならないのか、続けたいのではないか。そう自問自答を繰り返しているうちに幕が上がる。

 

目の前には何千本もの針。その中から適当な針に手を伸ばす。ふと、昔のことを思い出した。幼い頃、親しい友人と誓いを建てた際によく罰として針千本の要求をしたものだ。幼い頃は冗談であると知っていたし、逆にハリセンボンが食べれるのかと喜んでいた。今、置かれている状況を見るといかに可笑しいことか。嘘をついたわけでも罪を犯したわけでもないのに、針を飲み込もうとする姿を見て昔の友人はどう思うだろう。

 

 一本目から針は容赦なく痛みを与える。

 

痛くて、苦しい、針が今気管を通り抜けているのが感じることができる。何本か針がのどに詰まり息ができない。数分が経ちようやく飲み込めた。痛みはないが依然として苦しみだけが残る。その上先ほどよりも幾分か息がし辛くなった。多分、最初の針が肺に刺さったのか。いや、でも痛みは感じない。感じるのは苦しみだけだ、なぜだ、なぜ苦しいとわかっているのにも関わらず続けているのか。

 

思考が停止し、手が止まる。

それなのに不安が生じる、やはり苦しくても今の私には針が必要らしい。

 不安を掻き消すようにし、苦しみの中に埋もれる。苦しみは苦しみから解放させてはくれない。だが、そうせざる負えないのだ。

 

演技に対するめいめいの反応は違う。あるものは大袈裟だといい、悲しみ、そして時には共感し、舞台に立つものもいる。だが、やはり全員が同時に苦しみを覚えるらしく、途中で席を立つ。貸し切り状態の中で物語の最高潮を迎えようとしている。結局のところ観客がいてもいなくても同じなのだ。

 

苦しく見えるか、、、

 

知ってるかい、私がもっと苦しいのだよ。この苦しみは汝に理解できるだろうかい、いや私にしかわからない。同じ舞台に立ち同じ演技をしたところでも同じだ。

演技の途中何人か手を差し伸べる観客がいたり、舞台から脱出できる機会があった。

でも、だめなのだ。してはだめなのだ、いや脱出したくないのだ

「悲しき大芸術家」という称号をいただくまでは

すっかり虜になってしまった、もはやこの痛みや苦しみが美しいとさえ感じてしまう。さりとて、この先に何が待っているのか知る由もない

 

幕が下りると全身を強張らせていた力が抜け、床に倒れこむ。今日はどうやら部屋に帰れないようだ、とひんやりした空気の中体を丸め、目を瞑る。